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神戸の訪問看護師 藤田 愛さんのコラム

千分の一のコロナの訪問看護②

※原文およびその他の投稿内容については、藤田さんのフェイスブックでお読みいただけます。

1000分の一のコロナの訪問看護② 神戸より

毎日、こんなことがあるだなんてという様相を書きあげられず、書きかけばかりになるので、短めを何回も上げてゆくことにしてみる。

前回の投稿でまるで神戸が戦地になっているように感じた方も多かったらしいが、皆さんのところに続く空も青く、街を行き交う人の微笑みあいながらの語らいが変わっているわけではない。コロナは戦火が見えないことが広がりをもたらす。すぐそこにいるのに無色透明。
3月から150回は訪問しただろうか、この一年で経験してきたコロナはゆるキャラだったのかと思う。変異株は隙を見逃さない、早さと強さを持っている。がんばっている皆さんを脅かすつもりも毛頭ない。マスクを両者はずしての語らいはしない、手指消毒をちゃんとする、換気、これまで言われてきた通りのこと。加えて、変異株キャラを知っていればガードは固くなる。

悪化の前に酸素吸入とデカドロン6㎎/日の開始活動を地道に続けてきた。6割『効く』。介入が遅れた、悪化の要因が大きい状況にある人は効果より悪化の力に負ける。焼け石に水にもならず、焼け石に雫。くそーくそーと心の中で握りこぶしを壁にぶつける。明日生きて会えるだろうか、それでも待つのか入院。でも入院できただけ運がいいというのか、重症化してからやっと順番が回ってきて、今、入院治療中の方数名。5月1日時点で入院調整中1700人以上、入院の順番が回ってくるということは誰かがこぼれたということで、あの人よりこの人の方が早く入院してほしかったのに、ふと思いかけてやめた。危ない、神様気分で命のトリアージするところだった。
『効く』、手当てが間に合い、回復する様は私の心を救う。ドアを開けて命の境目を超えた瞬間を感じた時に、よかったですね、よかったですね、こぼれる涙を止められない。フェイスシールドで隠れててよかった、泣きすぎやろ(笑)

療養者と家族、私たちは同じ土俵にいて一緒に戦うのである。こちらも包み隠さず状況も気持ちもすべてさらけ出し共有する。無事に療養期間を終えられた時、看護師でも私でもない、いや看護師でもあり私でもある一人の人として友のような感覚になる。寂しくなります、濃厚な10日間α。
1000分の一のコロナ訪問看護の役割、だんだん輪郭が見えてきた。新型コロナウイルス感染症に対する、在宅コロナ一時救急。それだけでない差別・孤独という社会的病気については、「私はあなたを大切に思う」というメッセージを届けること。生活の充足は高さを目指さず最低限を目指す。

全く食べるものがないなら、急いで買い物にも行く。これは誰かが代われるのではないか。ドアノブにかけてくれれば半数は自分でドアを開いて取ることができる。両親とは折り合いが悪くて、、、何を言っているんですか、生きるか死ぬかを戦っているんです、協力して下さい。ついでに仲直りして下さいな。神戸に住んでいても深刻な状況を知らない人の方が断然多い。恐らく医療従事者の中でも実感をもってこの神戸の危機を理解している人は一部で、コロナ病床勤務か保健師くらいじゃないか。
私でも毎日、まるで二つの世界を行き来しているような感覚になる。見た者が知らせてゆかねばならぬ。神戸は今、戦地なのだ。感染者数何人、医療崩壊とか病床逼迫では普通の人には伝わらないのである。どこか遠くに感じてしまう表現だ。それが何を意味するか、自分とどう関係するかを響かせるにはどうしたらよいのだろう。脅しはだめだ。行き場のない恐怖は弱い誰かに向かうから。見た事実を伝えてゆくことが私にできる最大なのだろう。
前回綴った30代の命、すでに重症であったのに空きがなく病院の入り口から入れず、さらに悪くなって救急車を呼んだが、搬送先がないと引き揚げてゆく。21:00の訪問で“ないよりまし”の点滴をし、保健センターに今夜死ぬかもの報告。優先順位が上がり、救急搬送ができた、よかった。いつもはその後を追いかけないのだが、どうなっただろう気になって、廊下の片隅でいいから入院させて下さいと私に手を合わせたお母さんに電話を入れた。

「先ほど亡くなったんです」

そんな、そんなこと、そんなことがあるなんて。頭が真っ白になった。どうしてですか?なぜ入院できないんですか、なぜ救急車は運んでくれなかったの?なぜ?なぜ?行き場のない深い悲しみと怒りが向けられても、その通りだと思うから、何一つ答えられない。気のすむまでせめてぶつけてもらうしかない。本当に残念です。
あの夜、訪問して見たすべてが映像のように記憶に刻まれている。看護師が感染しないように窓が全開に開けられていて、オレンジ色のカーテンがひらひらと揺れていた。一週間も遅い、酸素導入、意識も何度も失った。7ℓ吸入で酸素飽和度は96%に上がっても呼吸数は50回、苦しくて喋れない。苦しさも恐怖も和らげる言葉を持ち合わしてない、遅くなってごめんね、苦しくて不安だったでしょう。うんと大きくうなずきながら、点滴のために差し出したその手の力強さ、輪郭のはっきりした血管、私に向けるその目線のすべてが「助けて、生きたい」を待っていた。
どうぞこの事実を伝えてほしい。入院が必要なものが入院でき、命が救われるようにしてほしい。分かりました、全力を尽くすことをお約束します。

電話を切ったあと、私はもう泣くこともできず心が凍り付いて放心状態だった。気づいたらそのまま寝ていて目覚めたら深夜3時だった。

自宅での感染管理は病院のような整った環境にはない。感染リスクの大きい状況の中では、一人医師診療所の医師、小さな規模の訪問看護ステーションの皆が訪問することは難しい。

ワクチン接種はいつになるのか。何とかもう接種を終えている、コロナ病床を持つ医療機関と同じに重きを置いてもらえないか。遠目で見るテレビに映るワクチン担当大臣、いつもはきれがいいのに、話の長さがワクチン接種のまだを象徴しているように感じる。
一日も早く国民全員が接種できる。それが私の願いである、本当は皆が優先だろう、しかし、もしよろしければ自宅療養で直接療養者に接して、コロナの初期治療にあたる医師や看護師に回していただけないか。そこから救える命が増えるのである。

「藤田さんやめとき危なすぎる、無謀やで、絶対にやめとき」と引き止められる。美談ではない、その通りである。しかし、私には選択肢はない。私の大切な人を守りたい、それと同根の一人でも多くの命を救い、あなたのせいじゃない、大切な存在であることを知らせに届ける。
感染管理の専門家は訪問するのは避けるべきという。この状態でもですか。そうです。背中を押してほしかっただけだったのかもしれない。それが精いっぱいの答えなのだからもう、相談するのはやめておこう。

宇宙服のような防護服を家に入る前に装着でき、そのまま出て家の前で脱ぐ。これができれば感染予防のレベルは上がる。しかし、ここにコロナ患者が住んでますよと知らせていることになる。皆、見ているのである。私服っぽく見える防護服ないのかな。毎回思う。

コロナは恐怖が他者を思いやる優しさまで奪ってゆく。攻撃せずにいられない人はいつもは普通のいい人だった。そのような時代も終わりにしなければならない。コロナはいつか収束するだろう、しかし、失われ傷ついた心は元には戻らない。それが次の時代を占領するのである。

安全かつ人権に配慮した訪問ができること。知恵をくれる人にお力添えをいただくしかない。毎日必死で回っても10人、この症状は何を表す、緩和の手立てはあるか、先駆けてみてきた方に教えてほしい。受診も入院もできないのだから。せめてこういうことが起きていると分かれば救われる。

変異株が大阪、神戸にとどまっていてくれることを願う。
私たちは出遅れた。そうでない備えもしておいてほしい。あっという間に広がる時、情報共有も予行練習のようなスムーズな連携もできなくなる。それがコロナだ。

治療できる病院を守るために、コロナ後の受け入れられる病院がなくてはならない。感染性がなくなってもダメージを受けた肺の呼吸機能、弱った足腰には治療とリハビリが必要だ。

診療所、訪問看護事業所は事情による。対応が難しい、かかりつけのみ対応可、かかりつけも対応可を区別しておく。それを保健所に渡しておく。

訪問できない人があたりまえ、できることを最大にやろう、どうしたらできるかと思っていればそれが力に変わる。二人訪問は難しいところが多いだろうけれど、せめて初回訪問は二人がいい。不慣れな感染管理のクオリティを上げる。ちなみにうちは一人専属を出すのが精いっぱい。

保健所が陽性者の健康観察を担っている地域は、健康観察票を作って本人、家族、訪問看護師ができるようにしておくといい。

迅速に酸素導入、ステロイド(私たちの地域ではデカドロン6㎎×10日間が主流)、解熱剤、抗生剤(これはコロナなのか細菌感染が起きたための発熱なのかの区別がつかないケースが散見されるため、かといって確定診断をつけることが難しい。コロナ患者の受診は容易ではない)を自宅に届ける仕組みづくり。前回も書いたコンフォートセット。法的なバックアップが必要と思う。
 
えっと細かいことだけど、防護服等は持ち帰らずレジ袋に詰めて、隔離解除になるころに自宅で廃棄してもらう。ちなみに燃えるゴミ。アンダー手袋(別名お守り手袋)、家に入る前から外に出るまで一枚だけ余分をつけておく。全部置いて帰りたいが、最後に暖簾が待っていたりする。

訪問介護事業所は中に入らなくても電話をして、どうしても生活に必要なものをお買い物をして玄関先に置いておくことができるといい。

各家庭の皆様には、ご自身のこともだが離れた親のことをお願いしたい。今のうちに命のお守りの出費と思って、体温計、パルスオキシメーター、手首血圧計を買って使う練習をしておいてほしい。ちょっと使えそうならスマホかiPadを練習してほしい。練習無理でも充電された状態に家にあれば、万が一、コロナにかかってしまった時にかなり役に立つ。家族と練習できればいいが、そばにいなければ訪問診療や訪問看護でそれを使って訪問前に測定してもらう練習をしておくとかなり役に立ちます。

そんなこと考えたくもないのは十分承知しています。私もそうだから。でもこれができるだけで、もし入院治療がすぐできない時に助けとなります。

今日はここまで。相変わらずまとまりもないですが、書きかけばかりが溜まるのでお伝えしないよりはましかもと思いまして。

一緒にやっている診療所の医師が、この状態でも入院治療を受けさせられない、我々にとっても信じがたい状況にあります。できることは限られていますが、全力をもって、、、といいかけて言葉をつまらせた。言葉をつなごうと思ったのに、私も本当に、、、といって泣けてきて、家族と共に沈黙の時間を過ごす。結局、医師がその続きを毅然と話してくれて、私はその間に涙を拭いて話に参加する。

本人も家族も頼りにならないのならと、必死にがんばってくれる。介護保険が贅沢に思えてきた(関係ないか)。
おいおい、全然食べられなかったのに今日はごはんおかわりかい。
酸素の数字見ながら流量調整したり、動く練習してみたり、え、ここで髪の毛洗ったん?廃棄用に置いて帰ったポリ袋とビニールガウンを敷き詰めて、あれ使わせてもらったわ、さすがや関西おばちゃんシニアの部、捨てるんもったいないわ、お金をかけず使えるものは使う。療養者や家族に力をもらう。

親子の不仲、色々な事情があるでしょう。でもできれば今のうちに仲直りできますように。
(2021.5.2)

つづく・・・
※藤田さんの著書は台湾でも翻訳出版(写真左)されています。

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