ナースプラクティショナーまでの道第4回
連載コラム「ナースプラクティショナーまでの道 ~看護師人生中間地点~」 第4回
第4回:カウンセリング・ターミナルケアから学んだもの
糖尿病患者さんの行動変容への支援に役立てたいと思って学び始めたカウンセリングだったが、カウンセラーの資格をとってから、思いがけず私の役割が新たに加わった。
当時、消化器専門病院に勤務していた私は、ターミナル期のがん患者さんへの心理的介入と、ストレスで消化器症状を呈している患者さんへのカウンセリングも可能な範囲で行ってほしいと医師から要望があり、看護部内でも許可がでた。
ターミナル期の患者さんへは主に、生きることの意味を患者さんや家族とともに模索した。生きることの意味や存在価値が見出せることで患者さんの表情が穏やかになったり、身体症状が軽減していくことを目の当たりにし、心理的援助の効果と重要性を痛感した。
身体症状の緩和を図りながら、カウンセリングマインドで傾聴し、今まで生きてきた意味や残された時間をどのように生き抜きたいのかと話を整理していく作業を繰り返していった。
看護師兼カウンセラーの視点から、ターミナル期の患者さんの病状・症状マネジメント・治療の選択の援助・患者や家族の心理などを総合的に情報収集してアセスメントし、主治医・患者・家族と治療計画立案に参画できるやりがいを感じていた。
患者さんたちは生きることを全うすることに一生懸命、家族は患者の亡き後も生きていかなければならない現実と大切な人を失うという悲しさを抱えながら一生懸命患者をサポートする姿に幾度となく感動し、私の方がエネルギーをいただいた。
たくさんの患者さんを思い出す。奥様や看護師にもどなり散らしてわがまま放題だったDさんは、他界される直前に「嫁に『お前は最高の女だった』と伝えてくれ、あんたもうちの嫁みたいな女になりなさい」と耳元で囁いて翌日他界された。
奥様に後日そのことを伝えたら、夫婦にしかわからない意味が伝わったらしく、怒鳴られ続けたことがこの言葉で全部妻として報われて洗い流されたと、顔を赤らめながら涙を流された。
営業のプロだったEさんは「営業と看護師の仕事は同じや、この看護師さんの看護を受けたいと思わせるようなプロの看護師をたくさん育ててほしい」と他界される1週間前に言い遺された。
神経質なFさんは「私の痛みをとろうとしてくれる夫や看護師さんが手を当ててくれると、本当にそこが温かくなって痛みがやわらぐの、不思議ね。」と夫の深い愛情に包まれて最期まで酸素マスクも点滴も拒否しながら、本人の希望通り自然な状態で亡くなられた。
当時、糖尿病患者の療養指導をしながらも入職時の頃のように「がん看護を学びたい」と思う気持ちが強くなっていたが、ある日大きな転機が訪れた。
病院側から「当院でも認定看護師を誰かにとってほしいと思っている。病院の機能・特徴からして緩和ケアとWOC(現皮膚・排泄ケア)の認定看護師は絶対に必要だが、頑張っている看護師たちにもめざしてほしいので、中山さんは糖尿病看護を受験してみたらどう?」と勧められた。
認定看護師になるには「糖尿病看護領域」という条件がついたのだ。
しかし、糖尿病療養指導を行いながらも、当時、糖尿病専門医がいないために日本糖尿病療養指導士の受験資格もない私が糖尿病に関する資格をとるなら認定看護師しかないこと、当時徐々に合併症に進行しつつある糖尿病患者Gさんのケアに行き詰っていたこと、全国で20名の狭き門なら入学試験が通らない可能性が高いので力試しに受けてみようと、以上のことから受験することにした。
しかし、予想外に合格したことで、その後は糖尿病看護に邁進することとなるが、この数年間のターミナルケアで多くのことを学んだ。
特に「患者・家族をありのまま受けいれる」「患者・家族と医療者では疾患(癌)の説明モデルが違う」「医療が進化すればするほど、医師からの説明を噛み砕いてもう一度説明し、患者の希望する生き方とすりあわせをする役割が必要」などは、後の糖尿病看護認定看護師やNPとして患者に関わる際に、プラスの影響をもたらしてくれた。
当時を振り返ると、三交替の通常看護業務をしながら、カウンセリングの勉強と実践、ターミナルケア、消化器疾患の身体症状のケア、糖尿病療養指導と専門性のある活動というよりも、患者や家族にとって必要とされる医療の隙間業務を行ってきた印象がある。
しかしながら、どれも今のNPとしての活動に役立たないものは一つもない。与えられた役割を黙々とこなしていくことも大切だし、よい医療を提供するために隙間を埋めていくことも大切な役割の一つだと感じている。
当時、消化器専門病院に勤務していた私は、ターミナル期のがん患者さんへの心理的介入と、ストレスで消化器症状を呈している患者さんへのカウンセリングも可能な範囲で行ってほしいと医師から要望があり、看護部内でも許可がでた。
ターミナル期の患者さんへは主に、生きることの意味を患者さんや家族とともに模索した。生きることの意味や存在価値が見出せることで患者さんの表情が穏やかになったり、身体症状が軽減していくことを目の当たりにし、心理的援助の効果と重要性を痛感した。
身体症状の緩和を図りながら、カウンセリングマインドで傾聴し、今まで生きてきた意味や残された時間をどのように生き抜きたいのかと話を整理していく作業を繰り返していった。
看護師兼カウンセラーの視点から、ターミナル期の患者さんの病状・症状マネジメント・治療の選択の援助・患者や家族の心理などを総合的に情報収集してアセスメントし、主治医・患者・家族と治療計画立案に参画できるやりがいを感じていた。
患者さんたちは生きることを全うすることに一生懸命、家族は患者の亡き後も生きていかなければならない現実と大切な人を失うという悲しさを抱えながら一生懸命患者をサポートする姿に幾度となく感動し、私の方がエネルギーをいただいた。
たくさんの患者さんを思い出す。奥様や看護師にもどなり散らしてわがまま放題だったDさんは、他界される直前に「嫁に『お前は最高の女だった』と伝えてくれ、あんたもうちの嫁みたいな女になりなさい」と耳元で囁いて翌日他界された。
奥様に後日そのことを伝えたら、夫婦にしかわからない意味が伝わったらしく、怒鳴られ続けたことがこの言葉で全部妻として報われて洗い流されたと、顔を赤らめながら涙を流された。
営業のプロだったEさんは「営業と看護師の仕事は同じや、この看護師さんの看護を受けたいと思わせるようなプロの看護師をたくさん育ててほしい」と他界される1週間前に言い遺された。
神経質なFさんは「私の痛みをとろうとしてくれる夫や看護師さんが手を当ててくれると、本当にそこが温かくなって痛みがやわらぐの、不思議ね。」と夫の深い愛情に包まれて最期まで酸素マスクも点滴も拒否しながら、本人の希望通り自然な状態で亡くなられた。
当時、糖尿病患者の療養指導をしながらも入職時の頃のように「がん看護を学びたい」と思う気持ちが強くなっていたが、ある日大きな転機が訪れた。
病院側から「当院でも認定看護師を誰かにとってほしいと思っている。病院の機能・特徴からして緩和ケアとWOC(現皮膚・排泄ケア)の認定看護師は絶対に必要だが、頑張っている看護師たちにもめざしてほしいので、中山さんは糖尿病看護を受験してみたらどう?」と勧められた。
認定看護師になるには「糖尿病看護領域」という条件がついたのだ。
しかし、糖尿病療養指導を行いながらも、当時、糖尿病専門医がいないために日本糖尿病療養指導士の受験資格もない私が糖尿病に関する資格をとるなら認定看護師しかないこと、当時徐々に合併症に進行しつつある糖尿病患者Gさんのケアに行き詰っていたこと、全国で20名の狭き門なら入学試験が通らない可能性が高いので力試しに受けてみようと、以上のことから受験することにした。
しかし、予想外に合格したことで、その後は糖尿病看護に邁進することとなるが、この数年間のターミナルケアで多くのことを学んだ。
特に「患者・家族をありのまま受けいれる」「患者・家族と医療者では疾患(癌)の説明モデルが違う」「医療が進化すればするほど、医師からの説明を噛み砕いてもう一度説明し、患者の希望する生き方とすりあわせをする役割が必要」などは、後の糖尿病看護認定看護師やNPとして患者に関わる際に、プラスの影響をもたらしてくれた。
当時を振り返ると、三交替の通常看護業務をしながら、カウンセリングの勉強と実践、ターミナルケア、消化器疾患の身体症状のケア、糖尿病療養指導と専門性のある活動というよりも、患者や家族にとって必要とされる医療の隙間業務を行ってきた印象がある。
しかしながら、どれも今のNPとしての活動に役立たないものは一つもない。与えられた役割を黙々とこなしていくことも大切だし、よい医療を提供するために隙間を埋めていくことも大切な役割の一つだと感じている。
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