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おかPの 研究会はしごレポート第1回

おかPの 研究会はしごレポート(一) 昼の部~第18回PEG・在宅医療研究会学術集会~ 

ナースの星編集部の”おかP”です。
2013年9月7日土曜日。二つの研究会に参加しました。

昼の部は、全国規模の第18回PEG・在宅医療研究会学術集会。
夜の部は、在宅医ネットよこはま東部・南部研究会という地域の研究会。
どちらもテーマは、認知症患者へのPEGの適応。ラインを引いて白か黒かという判断のできない、とてもデリケートなテーマだけに、フロアからの活発な質問が続きました。

第18回PEG・在宅医療研究会学術集会

会 期:2013年9月7日(土) 8:50~
会 場:ホテルオークラ東京 本館1階
会 長:病院長/神経内科教授 北川泰久先生
      (東海大学医学部付属八王子病院)

テーマ:「認知症患者におけるPEGの適応」

●在宅医療への関わり方

最初に聴講したのは、一般演題3「在宅医療・チーム医療・地域連携」。
患者・家族の不安をいかに取り除き、安心して在宅療養に移行できるかが議論されていました。

入院治療期間中に解雇されないよう勤務先との折衝に奔走されたMSWさんのおかげで、患者さんが安心して前向きに治療に取り組み在宅療養、職場復帰を果たしたというお話も。
退院後の生活にも思いをめぐらせてこその地域連携、と思うのでした。

また、退院後も家で困らないよう、看護師の皆さんは十分な技術指導を心がけておられると思いますが、「経管栄養により変化する生活様式への不安など、心理面での対応も大切」と発表されるナースもいらっしゃいました。
胃ろうを造っても、再び口から安全に食べられることを目指して、地域で取り組んでいる例も紹介されました。
宮城県南地域で活用されている「嚥下評価シート」は「胃ろう情報ファイル」に入れ込まれ、摂食嚥下機能のレベルに合っていない、リスクの高い経口摂取や、食べられるのに経管栄養が継続されていたりする患者さんをピックアップし、専門的な評価のできる医療機関を紹介します。その結果はまた主治医や訪問スタッフで共有されます。

在宅医療が地域連携に支えられて広がってゆくプロセスで、加齢・疾患・障害などの要素を抱えながら生きていく人々にとって、不自由や苦痛が取り除かれ、住み慣れた地域で生活を続けてゆけたら、と思います。

●納得して選択できるように

さて、第2会場では「PEG造設の適応・手技」がテーマ。

同時進行なので前半は聞き逃しましたが、看取りという選択肢もある中で、PEGの施行を誰がどう判断するかが、後半の演題に集中しました。
「超高齢者だから、経口摂取できなくなったから、終末期」なのでしょうか? 
個々の患者さんごとに、それまでの経過や介護状況は異なり、どうなったら終末期と考えるのか、医学的な定義だけでは割り切れないところも多いと思います。そういう患者家族の思いをすくい損ね、医療者側とのコミュニケーションが不十分なままPEGが施行されてきたことも否めません。
しかし、だからと言って胃ろうのメリットが全否定されることも間違いではないでしょうか。
胃ろうが良い悪いではなく、造って良かった、造らなかったけれど、これで良かった、そう納得できるようなプロセスを踏むことが、残された家族の慰めになるのではないか、自分の体験からもそう感じます。

通常、PEGを選択すると造設の前に行われるインフォームドコンセント(IC)ですが、選択するかどうか考え中の時期にこそ、患者家族は情報がほしいのです。
「PEGのジレンマ」※の概念は、胃ろうを造った場合(医学的な適応が前提)、造らない場合よりもQOLが保たれた状態を長くするけれども、QOLが低下して亡くなるまでの期間も延長させてしまう、という事を図を用いて説明したものです。
状態が悪くなってからのことを取り上げて、『それが本人にとって幸せなのか?』という議論にしばしば使われます。
しかし、これは胃ろうを造って造りっぱなし、寝かせっぱなしの場合です。

PEG後のQOLを出来るだけ低下させない、胃ろうのメリットを享受できる期間を少しでも長くするためにこそ、関係者がかかわっていこうということが、この図の一番の肝なのです。
さらに、「胃ろうは造らない」という選択も尊重され、満足&納得の看取りを実現するには、看取る側(家族も介護施設も)の覚悟を支えることと、その覚悟を受け止める環境を整えてゆくことが必要ではないか、との意見に激しく同意するのでした。

●「認知症」をめぐるPEGの適応

午後はシンポジウム2「認知症患者に対するPEGの適応」を聴講しました。神経内科、消化器内科、外科、老年病科の医師、そして臨床倫理や法学・政治学の専門家が演者として登壇されました。

演者からは、「胃ろうについての議論の中では、しばしば目的(延命)と手段(PEG)が混同されている」、「口から食べられない、という判断がどの程度信頼できるのか? その判断基準のあいまいさを危惧する」、「命の尊厳に踏みいる医療にかかわる学会が、立場表明などを公表しているが、その<立場>をどう解釈し、どう実践してゆくのかというところが、現在の医師教育には欠けている」、「医師自身、人が死んでゆく過程を学んでいない」、「胃ろう造設後の栄養の差し控えや中止を選択肢として認めるかどうかの議論は、死の選択の是非を問うていることを、患者家族にきちんと伝えるべき」などの意見がありました。

また、現実問題として栄養を止めるという選択をした場合には、確実に死がやってくるわけなので、それが刑事事件に問われるかどうかも、医療の責任者である医師にとっての重大な関心事です。法学者の立場からは、「法は倫理の最低限度」(法が倫理を縛るのではない)という発言がありましたが、学問的に刑事訴追はあり得ない、と言われても臨床現場の医師らにとっては、そう簡単に「ああそうですか」と受け入れられない場面も多くあるのでしょう。 いずれにしても、「いかに死なせるか」ではなく「死ぬまで生きてゆくことを支える」という共通認識を持ち、さらなる議論が深められてほしいと思いました。

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