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ナースプラクティショナーまでの道第5回

連載コラム「ナースプラクティショナーまでの道 ~看護師人生中間地点~」 第5回

投稿日:2011.10.19

第5回:子育てから理論の活用について学ぶ

無事に認定看護師教育課程に合格し、研修のため6ヶ月間自宅を不在にするので、車で片道2時間の場所に住んでいた私の母は60歳間近にして転職し、私達親子と同居してくれることになった。


子供達にとっては、一緒に暮らしたことのない世代の違う祖母との同居が始まったかと思えば、母親が6ヶ月間留守にするという環境の変化は、予想以上に心を不安定にさせてしまった。



研修学校の入学2ヶ月前になって、長男が突然に登校拒否になった。まじめな性格の長男は、毎朝いつもどおり起床して制服に着替えるが、自宅を出発する時間には顔が真っ青になり登校途中で引き返してきた。



学校側は登校拒否の引き金となった同級生との出来事について心配していたが、私にとってはそのことは引き金に過ぎず、原因は長男に愛情が十分に伝わらないことが根底にあるだろうと思っていた。



しかしながら、登校拒否の子供に向き合う際に必要な親の心構えと対応のノウハウについては心理カウンセラーの資格取得の際に学んでいたので、それらを駆使すれば、長男は学校に行き始めるだろう安易に考えていた。


しかし、学んだとおりの対応をしても子供は学校に行くことができないまま1ヶ月経過した。すでに入学手続きも終えていた私は「こんな状態の長男を母に預けて半年間も留守にできない」と段々焦り始めてきた。



職場での私は、半年間不在にするので仕事の調整に追われていたが、少しでも長男との時間を作ろうと私はギリギリに出勤して退勤時刻には帰るようになった。同僚が勤務時間より早めに出勤し夜も残業をしているのに、同僚には迷惑をかけてしまった。



もちろん同居している長女や母も、長男と私に対して気を遣ってくれている様子がひしひしと伝わった。登校拒否から2ヶ月が経過したある日、長男が「A子(長女)はいいよね、要領がいいからみんなからかわいがられて。。。オレみたいなダメ人間の気持ちなんかわからんわ。。。」という言葉を聞いたときに、私の堪忍袋の緒がプツンと切れた。



「あんたが学校に行けないことで、A子がどれだけ傷つき心配しているか、あんたみたいに自分のことしか考えられんもんにはわからんやろう!」と鬼のような形相で、怒りの感情をそのまま長男にぶちまけた。



田舎の1学年1クラスの小さな小中学校であり、兄弟などを通じて長男の登校拒否は小学校には筒抜けで、長女は同級生から「お前の兄ちゃん、学校行ってないんやってな」と何度も言われており、そのことを家では話せず、彼女は心の中に留めていたのである。



また、長女も母親が長期不在になることでの不安や疑問もたくさんあっただろうが、それを話題にすることで長男が不安になるかもと気遣い何も私に尋ねることをしなかった。そうやって、家族も親戚も誰もが話題を選びながら努めて皆が明るく過ごせるようにと気を遣ってくれていた。




そうやって長男の登校拒否を多くの方に心配していただき、支援していただいているにも関わらず、長男はそのことに気づきもせず、自分のことしかみえていない発言がたまらなく悲しかった。




「あんたみたいに愛情の受け皿が小さいと、どんなに周りが愛情を注いでもどんどんこぼれていって、結局あんたは愛情不足としか受けとらないんよ。愛情の受け皿が大きくなるか小さくなるかは自分次第や、周りの愛情に気づかないようなことでは、あんたはこれからも何にも変わらない!こんなに皆が心配して応援してくれているのにあんたにはなんで伝わらないんや!」と怒鳴った。




長男は私のあまりの怒りにきょとんとしたあと、目を真っ赤に潤ませて黙りこんだ。私は内心「あー、感情任せに怒ったらいけないとあんなに勉強したのに。。。」と数日落ち込んだ。しかし、その3日後の朝「今日から学校に行く」と言い出した。




表情は凛としており、本当に学校に行った。私には何が起こったかわからなかった。カウンセリングの恩師に事の顛末を話したところ、



「一般的なスキルがどんな状況でも使えるわけではない。親の無条件の愛情を子供に伝わるように伝えることが必要(理論)で、状況に応じてどう理論を活用できるかが求められる、あなたが真剣に怒ったことで子供に『お母さんは仕事が一番大切なんじゃなくて、僕のことが大切だったんだ』って伝わったことで安心して学校に行ったのでしょうね」



と分析してくださった。看護実践でも同じで、ノウハウや手順だけではなく、理論をしっかりおさえて活用・実践していくことが現場で求められていると痛感した。



私にとって長男の登校拒否の経験は、理論をどうやって個々の看護場面に活用するかという実践力・応用力につながっている。人生は何事も無駄な経験はないと改めて思う。 

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