ナースプラクティショナーまでの道第3回
連載コラム「ナースプラクティショナーまでの道 ~看護師人生中間地点~」 第3回
第3回:私の成長に影響を与えた華麗な先輩達
がん看護に憧れて中途採用されたA病院の配属先病棟で、緊張しながら入職の挨拶をした途端「ねえねえ、近いうちにのみに行こうよ」と飲み会大好きのB先輩から声をかけられた。
そしてBさんから「よくスタッフたちが、患者さんのことを『かわいそう』とか『患者さんのために』とかいうけど、私にはそんな尽くす感情はないから」と言われびっくりしたことを思い出す。
当時の私は、患者さんの気持ちや価値観が何より最優先で、看護師さんは患者さんのことが大好きなんだと思っていた。
私も含め多くの看護師は“救世主症候群”ともいわれるように、患者さんのために尽くすことで自己の満足感や幸福感などを抱く傾向があるのだが、B先輩は全く違った。
しかしこの先輩はびっくりするほどプロの看護師だった。
『患者さんのために』ではなく、『看護師として当然』といい、急変時の処置、苦痛を最小限にした注射手技、看護師としての観察力・判断力、おむつ交換や清拭の丁寧さ、言葉遣い、仕事を無駄なく効率よくこなし時間内に必ず業務を終えて次の勤務者に送って定時に帰る仕事ぶりだった。
少しでもこの能力に近づきたいと思っていたのに、何一つ叶わないまま、今も私が「姉御」と呼びたくなる先輩である。
とかく患者さんに優しくすることでいい看護をしていると自己満足に陥りそうな私たちとは、いつも違った角度で物事を冷静にみて、意見してくれる。
B先輩のように女優の如く看護師を演じ、患者に最大限に安全・安楽を提供することも看護師の仕事だと
つくづく気づかされた。
時々、患者のことが好きになれずに看護師に向いていないのではないかと悩んでいる人をみかけるが、B先輩のようなプロの仕事ぶりもありだと思う。
また、当時教育師長だったCさんは「これから看護師として何かしたいと思うのなら、看護師資格だけではなく“+α”が必要よ」と私に教えてくれた。
糖尿病患者の行動変容を促すために患者の心理と介入方法について学びたかった私は、あるカウンセリングの研修会にCさんと何度も一緒に参加した。
当然出張扱いではなく自分の休みとお金で参加したが、経済的に余裕はない上に県内ではほとんど開催されないので、九州から東京まで足を伸ばした。
Cさんと出会い、専門職の自己投資は必要経費と考えられるようになった。とはいいながらもお金がないので、どうしたら安くて効率よく勉強ができるかとリサーチし、講師のアシスタント役を早くから狙った。
資格をとるとアシスタントに立候補でき、交通費と宿泊費とアルバイト代が出て、かつ講義も聴けるので安く学ぶにはもってこいである。
このときに習得したカウンセリングの理論とスキルは投資した費用以上に、患者さんとの関係・職場の人間関係・思春期の子育てに役立った。
一人で勉強していたら高い研修費と交通費の捻出に途中くじけていたと思うが、Cさんが「次どれに行く?一緒に行こうよ」と誘ってくれ、ホテル代も節約のためにツインにし、片道400kmまでなら高速道路を使ってどこまでも運転し、東京には夜行バスで13時間かけて移動し、ホテルでは夜更けまでいろんな悩みや夢を話したことが懐かしい。
Cさんは看護師の成長をみることが大好きで、「教育はすぐに結果が出ないから忍耐が必要なの、でも、あとで大きな結果を生むことがあってそれが醍醐味なのよ」と何度も話してくれた。
糖尿病患者さんがすぐに行動変容という結果を出さなくてもあきらめず、根気で患者教育し続けることの重要性に気づかせてくれた。
もう一人、私に大きく影響を与えてくれたのは直属の上司であるDさんである。とにかく固定概念がなく、病院の方針を常に意識しながら、部下の要望に耳を傾け、チャンスを与えてくれる人だった。
私が入職2年目に行なった拙い看護研究結果から、糖尿病患者の療養行動の逸脱予防には継続看護が重要な要素だと結論づけたところ、「どうやってこの研究結果を実践にいかすつもり?」と尋ねられた。
そして看護部や病院側と交渉し、研究した私たちが看護師外来で継続看護ができるようご尽力いただいた。今でこそいろんな医療機関で看護師外来が設置されているが、13年前の当時には全国的にも珍しい試みだった。
私が認定看護師になったのも、リソースナースとして自律した活動を支えてくれたのも全てDさんのおかげである。
「うまくいくかいかないかを懸念して前に進めないことよりも、とりあえずやってみてから次のことを考えたらいい」といつも背中を押してくれた。
他にも多くの方に見守られ、励まされ、影響を受けて今の私があるが、皆さんはどんな先輩・仲間との出会いがおありだっただろうか?
「おかげさま」という言葉があるが、偉大な方との出会いを自身のプラスにしていきたいとつくづく感じている。
そしてBさんから「よくスタッフたちが、患者さんのことを『かわいそう』とか『患者さんのために』とかいうけど、私にはそんな尽くす感情はないから」と言われびっくりしたことを思い出す。
当時の私は、患者さんの気持ちや価値観が何より最優先で、看護師さんは患者さんのことが大好きなんだと思っていた。
私も含め多くの看護師は“救世主症候群”ともいわれるように、患者さんのために尽くすことで自己の満足感や幸福感などを抱く傾向があるのだが、B先輩は全く違った。
しかしこの先輩はびっくりするほどプロの看護師だった。
『患者さんのために』ではなく、『看護師として当然』といい、急変時の処置、苦痛を最小限にした注射手技、看護師としての観察力・判断力、おむつ交換や清拭の丁寧さ、言葉遣い、仕事を無駄なく効率よくこなし時間内に必ず業務を終えて次の勤務者に送って定時に帰る仕事ぶりだった。
少しでもこの能力に近づきたいと思っていたのに、何一つ叶わないまま、今も私が「姉御」と呼びたくなる先輩である。
とかく患者さんに優しくすることでいい看護をしていると自己満足に陥りそうな私たちとは、いつも違った角度で物事を冷静にみて、意見してくれる。
B先輩のように女優の如く看護師を演じ、患者に最大限に安全・安楽を提供することも看護師の仕事だと
つくづく気づかされた。
時々、患者のことが好きになれずに看護師に向いていないのではないかと悩んでいる人をみかけるが、B先輩のようなプロの仕事ぶりもありだと思う。
また、当時教育師長だったCさんは「これから看護師として何かしたいと思うのなら、看護師資格だけではなく“+α”が必要よ」と私に教えてくれた。
糖尿病患者の行動変容を促すために患者の心理と介入方法について学びたかった私は、あるカウンセリングの研修会にCさんと何度も一緒に参加した。
当然出張扱いではなく自分の休みとお金で参加したが、経済的に余裕はない上に県内ではほとんど開催されないので、九州から東京まで足を伸ばした。
Cさんと出会い、専門職の自己投資は必要経費と考えられるようになった。とはいいながらもお金がないので、どうしたら安くて効率よく勉強ができるかとリサーチし、講師のアシスタント役を早くから狙った。
資格をとるとアシスタントに立候補でき、交通費と宿泊費とアルバイト代が出て、かつ講義も聴けるので安く学ぶにはもってこいである。
このときに習得したカウンセリングの理論とスキルは投資した費用以上に、患者さんとの関係・職場の人間関係・思春期の子育てに役立った。
一人で勉強していたら高い研修費と交通費の捻出に途中くじけていたと思うが、Cさんが「次どれに行く?一緒に行こうよ」と誘ってくれ、ホテル代も節約のためにツインにし、片道400kmまでなら高速道路を使ってどこまでも運転し、東京には夜行バスで13時間かけて移動し、ホテルでは夜更けまでいろんな悩みや夢を話したことが懐かしい。
Cさんは看護師の成長をみることが大好きで、「教育はすぐに結果が出ないから忍耐が必要なの、でも、あとで大きな結果を生むことがあってそれが醍醐味なのよ」と何度も話してくれた。
糖尿病患者さんがすぐに行動変容という結果を出さなくてもあきらめず、根気で患者教育し続けることの重要性に気づかせてくれた。
もう一人、私に大きく影響を与えてくれたのは直属の上司であるDさんである。とにかく固定概念がなく、病院の方針を常に意識しながら、部下の要望に耳を傾け、チャンスを与えてくれる人だった。
私が入職2年目に行なった拙い看護研究結果から、糖尿病患者の療養行動の逸脱予防には継続看護が重要な要素だと結論づけたところ、「どうやってこの研究結果を実践にいかすつもり?」と尋ねられた。
そして看護部や病院側と交渉し、研究した私たちが看護師外来で継続看護ができるようご尽力いただいた。今でこそいろんな医療機関で看護師外来が設置されているが、13年前の当時には全国的にも珍しい試みだった。
私が認定看護師になったのも、リソースナースとして自律した活動を支えてくれたのも全てDさんのおかげである。
「うまくいくかいかないかを懸念して前に進めないことよりも、とりあえずやってみてから次のことを考えたらいい」といつも背中を押してくれた。
他にも多くの方に見守られ、励まされ、影響を受けて今の私があるが、皆さんはどんな先輩・仲間との出会いがおありだっただろうか?
「おかげさま」という言葉があるが、偉大な方との出会いを自身のプラスにしていきたいとつくづく感じている。
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