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スウェーデン高齢者介護第1回

第1回 スウェーデン高齢者介護の考え方と日本での実践から 

100年前は「ヨーロッパの最貧国」だったスウェーデン。
人口約900万人の北欧の国、スウェーデン。
その首都ストックホルムは、水の都ベニスにもたとえられる美しい街です。

まだ明るい時間に街を歩くと、おじいさんやおばあさんが歩行器を使いながら散歩や買い物を楽しんでいる姿をたくさん見かけます。そんな光景はいまでは当たり前ですが、1970年代、80年代のスウェーデンでさえ考えられないことでした。

そもそもスウェーデンは、100年前まではヨーロッパでもっとも貧しい国のひとつでした。

農作物に恵まれず、農業が社会基盤として育っていなかったうえに、産業革命にも乗り遅れて、たくさんの人が貧しい暮らしをせざるをえない国だったのです。

そのため、なにが起こったのかというと、19世紀前半から20世紀前半にかけて人口の約4分の1がアメリカへ移民してしまったのです。移民の多くは若い世代でした。

そして残ったのは多くの高齢者たち。つまり、不自然な形で高齢化してしまったのです。

だれものが生まれ故郷で生きていきたい、それなのに食べるものも仕事もなく、貧しくて暮らすことができない。そんなジレンマのなかで、「このままでは国が崩壊してしまう」という強い危機感がスウェーデンに生まれました。

ですから、スウェーデンは貧困や高齢化に向き合い、福祉社会を実現することでしか国を建て直す道がなかったともいえるのです。

ところでスウェーデンは、200年前からヨーロッパでは唯一戦争をしていません。2つの世界大戦も、必死に中立を守り抜きました。

では世界が戦争で消耗している間に、スウェーデンはなにをしていたのかというと、福祉社会をどうつくり上げていったらいいのか、国をあげて真剣に考えていたのです。

そして第2次世界大戦の頃に、国会にノーマライゼーション対策室を立ち上げました。

ノーマライゼーションとは、たとえ病気や障害があっても、また高齢者になっても、「自分にとってノーマルな(普通の)生活」を送ることが望ましいという考え方のことです。

ノーマライゼーションは、同じ北欧のデンマークで始まりました。

デンマークは、第2次世界大戦でナチスに侵略され、障害をもつ子どもたちが殺されるという悲劇を目の当たりにしていました。こんなことがあっていいのか? いったい人類はどうなってしまうのか? 

障害のある子どもたちの先生だったひとりの研究者が自分の教え子たちの惨劇に身を震わせ、だれもがノーマルに暮らすことのできる、みんなのための社会をつくるべきだと提唱したのです。

ノーマライゼーション対策室を出発点に、スウェーデンはその後、着実に高福祉社会を実現していきます。

ただし、1890年に始まったスウェーデンの高齢化は、65歳以上の高齢化率でみると7%から14%に達するまでに82年かかっています。

始まった時期は早くともそのスピードはゆるやかだったため、試行錯誤しながら少しずつ福祉社会をつくることができました。

ところが、日本では7%から14%まで進むのにわずか24年。2008年には22%に達し、2014年には25%、4人に1人が高齢者といわれています。

日本の高齢化がいかに速いスピードで進んでいるかがわかります。僕がいうまでもないことですが、日本のとくに高齢者福祉は待ったなしの緊急課題なのです。

日本には、かつて「姨捨」という風習があったそうですが、スウェーデン語にも同じ意味の言葉があります。100年前までは、スウェーデンもそうでした。

日本語でいう「臭いものに蓋」をするような国だったのです。それがどのようにして、高福祉国家となりえたのか? 

しかも、最貧国から完全に抜け出し、いまでは世界屈指の豊かな国となっています。なぜスウェーデンが、高福祉と高い経済力を両立できているのでしょうか?

そのカギは、「理念」を、持続可能な政策として形にする「合理性」にあります。みんなが高福祉を受けられる社会は、一方で膨大な社会コストが必要になります。

社会コストをどのように税金で賄っていくのか? じつはそこに「合理性」が生きてきます。スウェーデンの消費税は25%、所得税は30〜50%。

国民はこんなに高い税金に対して、文句をいうことはありません。それは、だれもが納得できる合理的な社会システムがあるからなのです。それが高福祉です。

高福祉は国民には高負担を課すことでもあります。それでもスウェーデン人は、高福祉以外を望みません。

ところが日本で聞いた冗談は、「日本人は高福祉を低負担で望みます」。

しかし、個人または家族として、対応出来ない状態になったときに、自分が愛している相手のために「高福祉」しか望みません。

高福祉がいつまでも自分らしく生き切るためだとしたら、はたしてその負担を高いと感じるでしょうか?

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