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めぐみが行く! Vol.7

若年性認知症当事者に 「失敗する権利」 を~失敗こそ自信をとりもどすチャンス~

投稿日:2024.12.09

目まぐるしく変化する医療・社会の中で、看護の本質に触れるような、そんなコーナーにしたいと思っています。
休憩室で帰りの電車の中で是非「めぐみが行く」を広げてみてください。

 65歳未満で発症する若年性認知症の当事者である丹野智文さんは、39歳でそう診断されました。認知症に対する誤った理解や偏見、そして本人の希望とすれ違う「支援」に対し、丹野さんは自らの思いや体験を講演活動やピアサポート活動を通して発信しています。家族や医療者が陥りやすい「支援」の在り方と、当事者が求めている「支援」にはどのようなギャップがあるのか―。
丹野さんのお話しを通して、見つめ直してみたいと思います。(文中敬称略)


丹野智文さん
1974年宮城県生まれ。自動車販売会社のトップセールスマンとして活躍中に記憶力の低下を自覚、38歳時に受診。2013年、大学病院での検査により39歳時に若年性アルツハイマー型認知症と診断される。
不安な日々の中、笑顔で前向きな認知症当事者との出会いをきっかけに、自身も体験を発信し始める。

30代で認知症?これからどうなるんだろう

村松:
 バリバリのトップセールスマンとして活躍されていた丹野さん、物忘れをきっかけに病院を受診されたのですね?

丹野:
 あまりにも記憶が悪いから、 ストレスじゃないかなと思って受診したのですが、 最終的にに若年性アルツハイマー型認知症と診断されたのは大学病院入院中に誕生日を迎えた39歳のときでした。「若年性認知症は進行が早く2年で寝たきり、10年後には亡くなる」というネットの情報を読んだときは、会社のこと、家族のことを考えて不安しかありませんでした。自分もそうなるのかと、退院後も毎晩泣いていた時期がありました。

村松:
 お仕事はどうされていたんですか。
丹野:
 営業から事務職に異動になりましたが、仕事を続けられたことは有難かったです。でも今までと違って、腫れ物に触るようにみんなに気を使われていました。

 それがあるとき、認知症について全く知らない新卒の女子社員が「丹野さん、病気だって聞いてるけど、何が困ってるの」とごく普通に話しかけてくれたんですよ。夏の暑い日には「暑いよね、ビールでも飲みたいね」と私が言ったら「丹野さん、お酒なんか飲んだら駄目なんじゃないの」「先生から駄目って言われてないよ」「じゃぁ飲みに行きましょう」となって、以前のように飲みに行きました。こういう普通のことが、認知症と診断されてから当たり前でなくなっていたので、嬉しかったですね。

 仕事を通して「できる、できた」と実感することでも、失っていた自信を取り戻していきました。自信を取り戻すと、できないことはできないとはっきり言いますし、できるための工夫もします。いま認知症の人に足りないのは、自信じゃないかなと私は思っているのです。

居場所や役割を奪わないで

村松:
 自信というのは周囲の対応にも影響されますよね。

丹野:
 診断の際、医師も看護師も当事者である私ではなく、付き添った妻に話をしました。市役所や地域包括支援センターも同様で、私が認知症当事者だとわかると、最初の挨拶も、名刺や冊子を渡されるのも、介護保険の申請について説明されるのも、私ではなく妻なんですよ、認知症と診断されたのは私で、介護保険サービスを使うのも私自身に、認知症というと「何も理解できない人」「何も判断できない人」というレッテルを貼られたかのようでしたね、自分が記憶できなくなっていく過程は認識できているのに、その確認を誰からもされないのです。

 当事者同士で話していると、財布を持っている人がほとんどいません。携帯電話も今まで使っていた機種から使い方が簡単なものに変えられた、一人での外出を禁止されている、そんな話をよく聞きます。本人は家族に対して病気になって申し訳ないという気持ちがあるので、全てを受け入れようとし、そのストレスから鬱になることもあります。

 私は診断されてから11年たち、今も失敗だらけです。でも失敗するから工夫するし、工夫するから成功体験が生まれ、自信につながるんです。だから、「失敗することは権利だ」と私は思っています。それこそが、私たちから取り上げられがちな感覚、体験だと思います。

 自分が必要だと判断したときに自分で決めることも大切です。自分に必要なものを買うときも、自分で選んで買う。周囲がやってくれることに慣れてしまうと依存につながりますし、それを使わないと「せっかく買ってきてあげたのに」と怒られたりして関係性が悪くなることも。

村松:
 丹野さんはどんなことを工夫されているのですか。

丹野: 
 仕事の段取りは2種類のノートに細かく記録して管理しています。時間の管理は携帯電話のアラーム機能にコメントを入れています。降りる駅名が思い出せなくて困った経験から、電車に乗るときは乗り降りする駅名と「若年性アルツハイマー本人です。ご協力お願いいたします」という一言を書いたカードを自分で作って持ち歩き、必要なときに周りの人に見せて助けてもらっています。この一歩を踏み出すときには勇気が必要でしたが、使うことで不安が一つ消えました。


笑顔でより良く生きていこう 当事者からの発信

村松:
 丹野さんが当事者からの発信をしていこうと思ったきっかけは、家族会で診断後6年経過された元気な認知症当事者の方との出会いとのことですよね。現在行っているピアサポートについて教えてください。

丹野:
 医療機関で私のような当事者が待機して、認知症の診断を受けた本人やご家族の気持ちを受け止め、その不安を一緒に乗り越えていこうという活動です。

 医療や福祉関係の人は、認知症の進行を想定して介護保険の申請やデイサービスのおすすっめをするから、本人の居場所や役割がなくなるイメージが先行して不安になってしまうのだと思います。私たちは、とにかく不安をなくし元気をとりもどしてもらいたくて、まず自分のことをお話しします。「診断されて〇年経ちましたが、こうして元気にしています。明日も1週間後も何も変わらないから、安心してくださいね。1年後、もし進行していたら、そのときは工夫をすれば大丈夫ですよ」というだけで笑顔になります。

 私の思いは、目の前の不安を抱いた当事者が1人でもいいから笑顔になってほしい、それだけです。当事者が笑顔になると、一番楽になるのは家族です。その人たちがどんどん元気になったら、社会も自然に変わるんじゃないかなと思います。当事者が笑顔になれる機会を今後も増やしていきたいですね。

村松:
   私たち看護師も、当事者のニーズから離れた支援になっていないか、常に問いかけていこうと思います。ありがとうございました。


認知症当事者としての丹野さんの活動

2015年、認知症当事者のためのもの忘れ総合相談窓口「おれんじドア」実行委員会代表に就任。2020年、一般社団法人「認知症当事者ネットワークみやぎ」発足。ピアサポートの活動にも注力している。講演活動多数。著書『丹野智文 笑顔で生きる―認知症とともに』(文藝春秋社、2017)、『認知症の私から見える社会』講談社、2021年)など




村松 恵

看護師歴26年。小児看護に携わる中で皮膚・排泄ケア認定看護師となり、小児専門病院で15年の看護経験。その後在宅にフィールドを移し、小児から高齢者まで幅広い経験を持つ。
私生活では医療的ケア児(小学6年)の母でもある。新潟県十日町市出身。
「めぐみが行く」では、知りたいこと、見たい場所、取材して欲しい人など募集しています。
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