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めぐみが行く! Vol.5

「地域で生きる」を支える【後編】
~多様性を認め合い、新時代を切り開く~

投稿日:2024.09.12

目まぐるしく変化する医療・社会の中で、看護の本質に触れるような、そんなコーナーにしたいと思っています。
休憩室で帰りの電車の中で是非「めぐみが行く」を広げてみてください。

 少子高齢化が進み、家族構成や働き方、地域社会のあり方が変わってきている現在、看護と介護を一体的に提供するサービス「看護小規模多機能型居宅介護」への注目が高まっています。
 住み慣れた地域で、誰もが自分らしく生活を営める地域作りを目指し、介護育児難民や孤独死を出さないことを使命に、在宅医療・介護ケアサービス「ゆらりん」を展開されている株式会社リンデン代表取締役の林田菜緒美さんにお話を伺いました。(文中敬称略)

⇒記事の前編はこちら


働き方の多様性を認める柔軟性

メディバンクス(株)村松恵と株式会社リンデン 代表取締役 林田菜緒美さん
メディバンクス㈱村松恵(左)と、株式会社リンデン 代表取締役 林田菜緒美さん(右)
村松:
 林田さんには、息子が幼稚園入園前まで自宅に来ていただいていましたが、「村松さんが介護のためだけに家にいるのと、外に出て他の小児に関わってもらうのって、どう考えても村松さんが外で力を発揮した方が日本のためにならない?」と冗談交じりで話をしてくださったのをとてもよく覚えています。その言葉が嬉しかったし、医療的ケア児の母親でも、“働くことを諦めなくていいんだ”と思えました。

林田:
 村松さんには、子どもを持ったことが、個人のキャリアとしてプラスになって欲しいと思ったんです。このまま子育てと介護に追われてしまうと、看護師として積み上げたもの以外にも、感情や生活、色々なものが潰されていくような気がしました。そうならないために、私も協力するから、まずは訪問看護1件からでも仕事を開始しようと勧めましたよね。
村松:
 はい、仕事復帰をするきっかけになりました。幼稚園入園を待って、幼稚園の時間に合わせて働き、訪看1件から始めて週1回勤務、週4回時短勤務へと徐々に勤務時間を伸ばしてもらいました。

林田:
 これはすべての要介護者を持つご家族に共通しますが、介護をする人が仕事を辞めざるを得ない、介護のためにすべてを諦めなくてはいけない、という考えをなくす社会にしなければいけないと思うし、何かお手伝いできることは必ずありますよね。やっぱり、そのご家族に合った制度を探したり考えたりすることは大事なことだと思います。

 また当時、管理者として「KIDSゆらりん」や看多機で働いてもらっていた中、事故で要介護5になったお父様も新潟から呼び寄せ、介護をする決断をしましたよね。
子どもと離れ、少しずつ仕事を開始し、KIDSゆらりんの立ち上げや管理者として奮闘する村松
村松:
 林田さんに「看多機で看よう、連れておいで」と言ってもらえて、決断ができました。でも、そんな状況で仕事ができたのは、働き方が選べたこと、休みが多くても急な対応で予定が変わってしまっても、柔軟に対応してもらえたことがとても大きかったです。

林田:
 村松さんが間に合わない時はバス停までお迎え代行もしてましたね。

村松:
 正直、生活もまだ落ち着いていないし、仕事も介護も大変な状況でしたが、“働きたい”という気持ちと、自分の人生を生きるためには仕事が不可欠だという思いが強くありました。

林田:
 「母性」の押し付け、というと少し言葉が強いですが、“母親が子どもを見ることが当たり前”という考えが私は好きではなくて。療育センターの職員の方でも、“それがお母さんでしょ”という人も、一部ですがいたりします。私は偶然子どもが健康だったので、7カ月から保育園に預けてしっかり働けたけれど、そうではない人もたくさんいます。でも、働いているほうが、子育てや家族との関係がうまくいく方もたくさんいるんです。まさに村松さんみたいな方ですね。
ママは残業になっちゃって今日は私がお迎え。早く会いたいね。
村松:
 そうですね。母子密着を強いられることに息苦しさを感じる人も大勢いると思いますし、そういった方が働けるような環境、仕組み作りの必要性を強く感じます。私もゆらりんではなかったら、看護師として働けていなかったと思います。

林田: 
 4月からゆらりんで働き始めた介護福祉士の方がいるんですが、双子を出産し、一人が気管切開をしていて、うちの看護師が訪問していました。保育園に入れたので、働いていた特別養護老人ホームに復帰するつもりでいたんですが、夜勤や土日シフト、就労時間などの壁が出てきて、結局戻れなかった。なので、無理のない日数と時間から始めて、少しずつ増やしていけばいいよと言って、ゆらりんに誘ったんです。

村松:
 私が訪看を始めた時もそうでしたが、臨機応変に対応していて、働き方の選択肢が本当に多いですよね。働き手の生活に寄り添って、働き方を真剣に考えてもらえる。

林田: 
 小さな会社だからこそ、変えられることも多いですよね。一緒に働くスタッフの理解も大きいです。


「KIDSゆらりん」を立ち上げた意義
医療的ケア児が地域やお友達と触れ合える場所づくり

村松:
 「KIDSゆらりん」の立ち上げについては、医療的ケア児の受け皿がない、このままでは働けない、という状況を受けて、私の“働きたい”という気持ちに寄り添ってもらったエピソードをお話しましたが、やっぱり子どもにとっても、人や社会とのつながりを持つ場所は絶対的に必要であるという思いも大きかったですよね。

林田:
 保育園や幼稚園、そして障害児が通所する児童発達支援事業所にも、医療的ケア児の受け皿が皆無であった当時の状況を目の当たりにして、医療的ケア児を優先的に看られるような児童発達支援や放課後等デイサービスを、いつか一緒に作りたいねと話していたんですよね。

村松:
    息子は成長するにつれて吸引回数も減り、ケアの負担も段々と減って幼稚園に入れたのですが、そこから急激に言葉や食事の幅が広がりました。親の想像を超えて成長していく姿を通して、やはり子どもの成長には子ども同士で活動できる場が必要なんだと実感し、そこに障害の有無で隔たりがあってはいけないと強く思いました。

林田:
 その通りだと思います。その思いを形にしたのが「KIDSゆらりん」ですね。医療的ケア児の療育施設として2016年の秋に開所し、呼吸器を装着していたり、気管切開で吸引の必要があったり、てんかん発作の対応が必要だったりと、様々な状態のお子さんを受け入れて療育活動を行ってきました

村松:
 子どもの状態にもよりますが、子どもの将来を考えたとき、母子分離は必要なことですし、子どもにとっては、成長期に人との出会いや経験を積める場、親にとっては安心して子どもを預けられる場が必要です。医療的ケアを必要とする親子が何も諦めなくて良い場所が、地域に根付いた形で作れたことは良かったですよね。


困難な状況を切り拓く行動力
ゆらりんらしい、この地域らしい共生社会を創る

村松:
 林田さんは、何事にも「主体性」を持って取り組まれていますよね。自分の近くで起こっていることや利用者さんからの相談に対して、当事者意識を持って行動されている姿が印象的です。

 息子が地域で受け入れ困難とされていた状況にあったときも、訪問看護師として関わってくださっていた林田さんが、“他の医療的ケア児は地域でどのように暮らしているのか”、“母の復職は皆叶っていないのか”など、地域の状況を確認し、相談支援専門員や区役所の保健師から情報を得て、何が阻んでいるのかを一緒に探ってくださいました。気持ちに寄り添ってくださる方はほかにもいましたが、実際に動いてくださったのは林田さんだけでした。人のために行動するのはなかなか難しいこと。林田さんの人柄を感じます。

林田:
 
思いつきで動いちゃうから(笑)。社長業だけでは物足りなくて、プレイヤーでいたいんです。

 昔、おばちゃんが自転車に乗って街の人たちに手を振っている保険のCMを見て、“こういう風になりたい”って思ったんですよね。それが今も変わらずある感じ。地域の世話焼きおばさんみたいな立ち位置で、若い人たちが働くことを応援していく立場になれたらいいなと思っています。
KIDSゆらりんとゆらりんの利用者さんと。プレイヤーとしても働くことで現場の楽しさを忘れない!
村松:
 医療職をやっていると、やりたいことが制度上難しいとなることも多々ありますよね。普通ならそこで諦めてしまうようなことも、林田さんは切り口を変えてみたり、人をマッチングしてみたりと工夫して、制度の壁を越えていたりします。間近で見ていたので、本当にすごいと思いました。

林田:
 制度は工夫次第でなんとかなることもあります。できることはやりたいですよね。

村松:
 今後、こうなりたい、こうありたいなどの将来像はありますか?

林田:
 子どもが成長し自分も年を重ねていく中で、やっぱりこの地域で暮らしていきたいという思いが強くあります。

共生社会とよく言うけれど、制度が追いついていないことも多いですし、本当に全部が繋がってるサービスはありそうでないんです。その点では、村松さんの息子さんやお父様の介護を通し、「地域で暮らす」を支えるために整えてきたことは、必要なサポートが全部つながり、誰もが諦めることなく、普通に暮らしていけるモデルケースといえるのではないでしょうか。こういったサポートを続け、この土地で、一緒にやりたいと言ってくれる人たちと、“赤ちゃんからお年寄りまでが繋がり、安心して暮らせる場所づくり”を、地域看護師として行っていきたいと思っています。
地域開放を通して住民と顔の見える関係作り。介護が必要になったときは「ゆらりん」で。

終わりに

 多様性(ダイバーシティ)とは、異なる背景や特徴を持つ人々が共存し、互いに尊重し合う社会の在り方を指します。具体的には、性別、年齢、人種、民族、宗教、性的指向、身体的・精神的な能力、経済的背景などの多様な要素が含まれます。

 林田さんは、様々な疾患や障害を抱えている本人や家族との関りを持つ中で、支援をする側という蚊帳の外から物事をみる形ではなく、いつも何事にも「主体性」を持って取り組んでくださっていました。多様性を尊重するだけでなく、全ての人が積極的に参加し貢献できる環境を作るインクルージョンの推進のためには、障害者のためのアクセシビリティを確保するだけでなく、彼らが意見を述べたり、リーダーシップを発揮できるような機会があることが重要です。そういったことを、現場で自然な形で推進してきてくださったのが林田さんでした。

 多様性の尊重が掲げられる一方で、合理的配慮という名のもとに線引きがされるという経験を私自身多く経験してきました。合理的配慮は、多様なニーズに対応するための具体的な措置を講じることであり、本来はその人のニーズを尊重するためのものです。それが形式的になり、本質的な理解や実践が伴わない場合、逆に差別や排除を生む可能性があります。多様な背景を持つ人々が同じ職場で働く際にも、様々な誤解や偏見が生まれる可能性があります。そういったことに対しても、林田さんは対話を通じて丁寧に互いを理解し合うために、現在も地域への施設開放などの事業を通じて、この地域を誰もが暮らしやすい共生社会に育てていくことを目指しているのだと思います。私たちが目指す「共生社会」とは、縦割りの様々な制度の垣根を越えて、支える側、支えられる側という垣根を越えて、世代や分野の垣根を超えて、地域の人が「丸ごとつながる」社会ではないでしょうか。

 今日も地域の困りごと、患者の困りごとに、「我が事」のように汗を流して動いている林田さんが想像できます。一人の女性として、看護師として、人として、こんなにも尊敬できる方に出会えたことに感謝して。
 

村松 恵

看護師歴26年。小児看護に携わる中で皮膚・排泄ケア認定看護師となり、小児専門病院で15年の看護経験。その後在宅にフィールドを移し、小児から高齢者まで幅広い経験を持つ。
私生活では医療的ケア児(小学6年)の母でもある。新潟県十日町市出身。
「めぐみが行く」では、知りたいこと、見たい場所、取材して欲しい人など募集しています。
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