西山 順博先生の胃瘻(PEG)ケアコラム第4回
第4回 『PEGサミットに参加して』
日本消化器内視鏡学会総会(名古屋)のサテライトセミナー『PEGサミット 待ったなし!日本の医療を考える』にて講演してきました。私に与えられたお題は「胃瘻難民を出さない地域連携の取り組み」でした。
滋賀県大津市で取り組んでいる活動について、胃瘻難民を出さないためには、在宅・施設で胃ろう患者が安心して療養できる環境づくりが必要であるといったお話しました。
今回のPEGサミットでは、PEGの功罪について考えさせられるものでした。PEGが患者さんのQOLを高めると考えている医療者とPEGによって患者さんは生かされているだけであり延命だ!と考えている医療者のバトル?でもありました。
今後も日本は高齢化し、PEGの対象となる患者さんは増えていく。皆がどう考えどうサポートしていくのかを考えなければいけない。皆とは医療者、介護者、患者さん、ご家族、そして行政・・・。
【私の私見】
そもそも胃瘻難民が増える原因は、高齢化社会に伴い摂食嚥下障害の患者さんが増えたことにあることを確認しておきたい。
最後まで口から食事ができるように口腔ケア・嚥下訓練を行い、摂食嚥下機能を維持する必要がある。医療者も誤嚥性肺炎で入院した患者さんの肺炎のみを治療するのではなく、原因である誤嚥に対して背を向けずに早期に対応していく必要があります(早期にNSTの介入)。
また、誤嚥性肺炎を繰り返しているうちにより摂食嚥下機能は低下し、患者さんの全身状態も悪化していく。意思の疎通がとれる段階で、経口摂取が困難になった時に経管栄養・経静脈栄養を希望するのかを確認しておく必要があります(Living Will)。
現状として胃ろう患者さんのほとんどは介護療養型医療機関で療養されています。在宅、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)でも安心してみていただけるように、正しいPEG管理の啓蒙活動。施設間で不公平感がないような協力要請、行政への働き掛け。
在宅で療養されている患者さんのデイケア・ショートステイの受け入れ要請。施設では栄養剤を食品扱いにし、患者さんより食費を徴収など経営についても配慮が必要です。
そして何よりも、胃ろう患者さんは摂食嚥下障害であることを再認識し、胃瘻造設後も口腔ケア、嚥下訓練を怠らないことが大切であると考えます。
また、胃ろうの適応はケースバイケースだと思います。皆がしっかりと吟味して出した結果が正解! 患者さん・ご家族に胃ろうにしてよかったと思っていただけるように活動しています。
私自身が老化し、自分で食べれなくなれば終わりですねと言われたらさみしい!一方、食べたくないのに強制栄養はつらい。急性病院にて食べれなくなったから胃ろう造設。これは誤り!
在宅にて食べれなくなったら延命になるから胃ろうはしない。これは誤り!食べれなくなったでも、その患者さんは食べたいと思っている。だから胃ろう造設!!食べれなくなったそして、その患者さんは食べたくないと思っている。胃ろうはしない!
患者さんが食べたいのか食べたくないのかが大事ではないのか。私自身が老化しても食べたくない!栄養を必要ないと思うことは想像できない!しかし、子供におむつ交換をしてもらうくらいなら死んだ方がまし(屈辱だと)と思うだろう。
食いしん坊の私も、舌を噛み切る勇気がなければ断食餓死を選ぶのかもしれない。でも、やっぱり餓死もつらいだろうな?
餓欲が強ければ子供におむつ交換してもらう屈辱を受け入れるかもしれない。その前に真剣に安楽死を考えるだろうが、手も足も動かない!口もきけない!子供に頼もうにも、子供を殺人者にするわけにはいかない。
私には平穏死があるのだろうか?よほど強い意志を持った方にしか平穏死はできないのか?胃ろうの適応か否かの時期にはその患者さんが栄養を欲しているのか否かはわからない。
でも、日常診療で胃ろう患者さんを訪問していると、注入すると痰が多くなり辛そうと思うことがある。
嘔吐・下痢することもある。この時こそが患者さんが食べたくないとお腹いっぱいと訴えているんだと思うのです。
何とか必要栄養量を強制的にと考えるのではなく減量していけばいい。お腹が減ればまた増量し、ずっと食べたくなければ躊躇なくさらに減量していけばいい。
胃ろう患者さんにも平穏死はあると思う。ただ、その最後の日が胃ろうを造設して3ヶ月でやってくる人もいれば、3年でやってくる人もいる。
これもまた、造設時には予想が出来ない。1ヶ月で亡くなった方もいるが、この方には胃ろうを造設しなければ良かったと思う。
経鼻胃管を抜いてしまう患者さん、点滴を抜いてしまう患者さんの中には餓死を覚悟している方がいるのかもしれない。こんな強制栄養を受けるのはイヤ!と訴えているのかも?
ただ、鼻が辛いだけなのかもしれない。トラブルのない胃ろうカテーテルを自己抜去する患者さんの中にも強制栄養を拒否しているのかも知れない・・・。
毎朝、私の祖父の仏壇のお水を変える母に、100歳を迎える認知症の祖母の平穏死について、胃ろうをしない選択もあることをどのように説明したらよいのだろうと悩んでいる。
自分が平穏死を選択するよりも、日本人の国民感情的に肉親の平穏死を受け入れることは難しいのかもしれない。患者さん(他人)のことを考えるのはより一層答えが出ないのは当然なのかもしれない。
サミット以降、胃瘻患者さんの往診で、『○○さんのど渇く? お腹いっぱい?』と問いかけてしまう・・・。意思の疎通ができない患者さんの真意がわかる秘策はないものか・・・。
今後も、胃ろうの適応については患者さん各々の状況を加味し、しっかり吟味して決定していきたい。そして医療者として胃ろう患者さんもそうでない患者さんも平穏な余生が送っていただけるように力添えできればと思います。
今回のPEGサミットでは、PEGの功罪について考えさせられるものでした。PEGが患者さんのQOLを高めると考えている医療者とPEGによって患者さんは生かされているだけであり延命だ!と考えている医療者のバトル?でもありました。
今後も日本は高齢化し、PEGの対象となる患者さんは増えていく。皆がどう考えどうサポートしていくのかを考えなければいけない。皆とは医療者、介護者、患者さん、ご家族、そして行政・・・。
【私の私見】
そもそも胃瘻難民が増える原因は、高齢化社会に伴い摂食嚥下障害の患者さんが増えたことにあることを確認しておきたい。
最後まで口から食事ができるように口腔ケア・嚥下訓練を行い、摂食嚥下機能を維持する必要がある。医療者も誤嚥性肺炎で入院した患者さんの肺炎のみを治療するのではなく、原因である誤嚥に対して背を向けずに早期に対応していく必要があります(早期にNSTの介入)。
また、誤嚥性肺炎を繰り返しているうちにより摂食嚥下機能は低下し、患者さんの全身状態も悪化していく。意思の疎通がとれる段階で、経口摂取が困難になった時に経管栄養・経静脈栄養を希望するのかを確認しておく必要があります(Living Will)。
現状として胃ろう患者さんのほとんどは介護療養型医療機関で療養されています。在宅、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)でも安心してみていただけるように、正しいPEG管理の啓蒙活動。施設間で不公平感がないような協力要請、行政への働き掛け。
在宅で療養されている患者さんのデイケア・ショートステイの受け入れ要請。施設では栄養剤を食品扱いにし、患者さんより食費を徴収など経営についても配慮が必要です。
そして何よりも、胃ろう患者さんは摂食嚥下障害であることを再認識し、胃瘻造設後も口腔ケア、嚥下訓練を怠らないことが大切であると考えます。
また、胃ろうの適応はケースバイケースだと思います。皆がしっかりと吟味して出した結果が正解! 患者さん・ご家族に胃ろうにしてよかったと思っていただけるように活動しています。
私自身が老化し、自分で食べれなくなれば終わりですねと言われたらさみしい!一方、食べたくないのに強制栄養はつらい。急性病院にて食べれなくなったから胃ろう造設。これは誤り!
在宅にて食べれなくなったら延命になるから胃ろうはしない。これは誤り!食べれなくなったでも、その患者さんは食べたいと思っている。だから胃ろう造設!!食べれなくなったそして、その患者さんは食べたくないと思っている。胃ろうはしない!
患者さんが食べたいのか食べたくないのかが大事ではないのか。私自身が老化しても食べたくない!栄養を必要ないと思うことは想像できない!しかし、子供におむつ交換をしてもらうくらいなら死んだ方がまし(屈辱だと)と思うだろう。
食いしん坊の私も、舌を噛み切る勇気がなければ断食餓死を選ぶのかもしれない。でも、やっぱり餓死もつらいだろうな?
餓欲が強ければ子供におむつ交換してもらう屈辱を受け入れるかもしれない。その前に真剣に安楽死を考えるだろうが、手も足も動かない!口もきけない!子供に頼もうにも、子供を殺人者にするわけにはいかない。
私には平穏死があるのだろうか?よほど強い意志を持った方にしか平穏死はできないのか?胃ろうの適応か否かの時期にはその患者さんが栄養を欲しているのか否かはわからない。
でも、日常診療で胃ろう患者さんを訪問していると、注入すると痰が多くなり辛そうと思うことがある。
嘔吐・下痢することもある。この時こそが患者さんが食べたくないとお腹いっぱいと訴えているんだと思うのです。
何とか必要栄養量を強制的にと考えるのではなく減量していけばいい。お腹が減ればまた増量し、ずっと食べたくなければ躊躇なくさらに減量していけばいい。
胃ろう患者さんにも平穏死はあると思う。ただ、その最後の日が胃ろうを造設して3ヶ月でやってくる人もいれば、3年でやってくる人もいる。
これもまた、造設時には予想が出来ない。1ヶ月で亡くなった方もいるが、この方には胃ろうを造設しなければ良かったと思う。
経鼻胃管を抜いてしまう患者さん、点滴を抜いてしまう患者さんの中には餓死を覚悟している方がいるのかもしれない。こんな強制栄養を受けるのはイヤ!と訴えているのかも?
ただ、鼻が辛いだけなのかもしれない。トラブルのない胃ろうカテーテルを自己抜去する患者さんの中にも強制栄養を拒否しているのかも知れない・・・。
毎朝、私の祖父の仏壇のお水を変える母に、100歳を迎える認知症の祖母の平穏死について、胃ろうをしない選択もあることをどのように説明したらよいのだろうと悩んでいる。
自分が平穏死を選択するよりも、日本人の国民感情的に肉親の平穏死を受け入れることは難しいのかもしれない。患者さん(他人)のことを考えるのはより一層答えが出ないのは当然なのかもしれない。
サミット以降、胃瘻患者さんの往診で、『○○さんのど渇く? お腹いっぱい?』と問いかけてしまう・・・。意思の疎通ができない患者さんの真意がわかる秘策はないものか・・・。
今後も、胃ろうの適応については患者さん各々の状況を加味し、しっかり吟味して決定していきたい。そして医療者として胃ろう患者さんもそうでない患者さんも平穏な余生が送っていただけるように力添えできればと思います。
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2015.08.07