西山 順博先生の胃瘻(PEG)ケアコラム第7回
第7回 『胃ろう(PEG)ケアはじめの一歩』の発行部数が3000冊を超えました!
2010年の7月17日(京都の祇園祭の日)に発刊しました。私の初めての書籍である『胃ろう(PEG)ケアはじめの一歩』の発行部数が3000冊を超えました。
この部数が多いのか少ないのかわかりませんが、少なくとも全国で3000人の方には読んでいただいているということで、私のPEG患者さんへの熱い思いが少しでも広がっていけば、PEG患者さんのQOLにつながると考えています。
私がPEGに始めて出会ったのは、今から15年程前の内視鏡室でした。当時の造設方法はPULL法が主流であり、造設医も不慣れな様子でした。口から食べられないから・・・“PEG”にするといった説明だけで造設の介助についていました。
経鼻胃管しか見たことがなかった私に、直接お腹に穴を開けてチューブをいれるなんて!!すごい驚きでした。でも、鼻に入っていたチューブが抜けて患者さんの晴れやかな顔を見たときは、うれしかったなぁ~。今も、私が非常勤で勤めているケアミックス型の病院には、100名ものPEG患者さんがおられます。
嚥下障害があって口から食べられなくなると、PEGを造ってそれがゴールのようにさえ思われていました。PEGを造る医師と主治医が違っていることもこの原因です。
本来、栄養を管理するためのルートとして考えられていたのに・・・。PEGから栄養を注入すると体重が増えて介護の負担になるケースも出てきました。
PEGは造ったら終わりじゃなくって、療養生活を送る始まりなんです!そのためにも、PEGを造る前から療養生活にわたるまでの栄養管理についてみんなで勉強しなくてはいけないんだと考えています!
『書籍の内容より・・・』“今度、MさんのPEGをお願いね!”ある日外来の廊下で訪問看護師のAさんに声をかけられた。
数日後、MさんはNST外来を受診していた。パーキンソン氏病により嚥下障害が進み、経口から食事は入っているものの体重減少をきたしていた。
Mさんの親族は“食べられなくなって、お腹に穴を開けてまで・・そこまでしなくていいよ”と話していたが、奥さんはもう一度栄養状態を回復させて、口からも食べさせてあげたいと話していた。
奥さんの熱い想いが、周囲の人を動かした。無事にPEG造設を行い、嚥下訓練も始め、退院の運びとなった。
退院前にはカンファレンスを行い、病院側はNSTスタッフがそろい、在宅側は訪問看護師をはじめ、入浴サービススタッフや介護士といったMさんを支えるスタッフが勢ぞろいした。
デイサービスやショートステイといった施設の受け入れがうまくいかない中、それぞれの職種が調整し、Mさんに何が出来るかを一人ひとりが考えていた。
“私ひとりじゃ何にもできんかった・・、みなさんのおかげです”奥さんはNST外来に来るたびに私に笑顔で話してくれた。
この5年で200人、いやいやその倍はいるかな?多くのPEG患者さんに出会う度に、私に何ができるんだろう・・って考えてしまう。
人間らしく生きるためには、最後まで口から食べ続けたい。誰もが思っていることじゃないかな・・。実際、私もそうだし・・。
でも、世の中にはいろんな病気があって嚥下(飲み込むこと)障害だけで、体は元気な人もいる。口から食べ続けるためには、口からだけに固執しないで、補助的に栄養を補う方が方法もある。
食事プラス補助飲料の場合や、もちろん食事とPEG(経腸栄養)を併用することもあると思う。口から食べられているのに、PEGはどうなの?といった声も聞かれないわけではないが、その患者さんにとって何がベストなのかを考えることが我々の宿命なのでは・・・。
PEGの管理についても、まだまだ普及していない。PEGを造っても、それを受け入れてくれる施設がないんです。家族は注入ができるのに・・ヘルパーさんは注入が医療行為になるからといって、認めてはいない。
せっかく家族が、家に連れて帰りたいと思っていても、サービス調整が難航しているのは事実!もっともっとみんながPEGのこと理解してくれたらいいのに・・・。
社会的にもPEG患者さんに厳しい状況です。やりきれない思いに押しつぶされそうになることもありますが、PEG患者さんやその家族が必要としてくれる限り、私はやり続けていこうと思います。みんながハッピーになることを信じて・・・。
こんな内容でマンガも交えて、本の中ではPEGに初めて出会ったNs.ケイが、色々な苦難を乗り越え、PEG管理のエキスパートに育っていくストーリーになっています。
医療書籍を扱う書店には『胃ろう(PEG)ケアはじめの一歩』も並んでいると思います。インターネットでは、アマゾンや楽天ブックスで中身も閲覧(立ち読み)できるようにしてあります。下記のアドレスから一度アクセスしてみてください。
私がPEGに始めて出会ったのは、今から15年程前の内視鏡室でした。当時の造設方法はPULL法が主流であり、造設医も不慣れな様子でした。口から食べられないから・・・“PEG”にするといった説明だけで造設の介助についていました。
経鼻胃管しか見たことがなかった私に、直接お腹に穴を開けてチューブをいれるなんて!!すごい驚きでした。でも、鼻に入っていたチューブが抜けて患者さんの晴れやかな顔を見たときは、うれしかったなぁ~。今も、私が非常勤で勤めているケアミックス型の病院には、100名ものPEG患者さんがおられます。
嚥下障害があって口から食べられなくなると、PEGを造ってそれがゴールのようにさえ思われていました。PEGを造る医師と主治医が違っていることもこの原因です。
本来、栄養を管理するためのルートとして考えられていたのに・・・。PEGから栄養を注入すると体重が増えて介護の負担になるケースも出てきました。
PEGは造ったら終わりじゃなくって、療養生活を送る始まりなんです!そのためにも、PEGを造る前から療養生活にわたるまでの栄養管理についてみんなで勉強しなくてはいけないんだと考えています!
『書籍の内容より・・・』“今度、MさんのPEGをお願いね!”ある日外来の廊下で訪問看護師のAさんに声をかけられた。
数日後、MさんはNST外来を受診していた。パーキンソン氏病により嚥下障害が進み、経口から食事は入っているものの体重減少をきたしていた。
Mさんの親族は“食べられなくなって、お腹に穴を開けてまで・・そこまでしなくていいよ”と話していたが、奥さんはもう一度栄養状態を回復させて、口からも食べさせてあげたいと話していた。
奥さんの熱い想いが、周囲の人を動かした。無事にPEG造設を行い、嚥下訓練も始め、退院の運びとなった。
退院前にはカンファレンスを行い、病院側はNSTスタッフがそろい、在宅側は訪問看護師をはじめ、入浴サービススタッフや介護士といったMさんを支えるスタッフが勢ぞろいした。
デイサービスやショートステイといった施設の受け入れがうまくいかない中、それぞれの職種が調整し、Mさんに何が出来るかを一人ひとりが考えていた。
“私ひとりじゃ何にもできんかった・・、みなさんのおかげです”奥さんはNST外来に来るたびに私に笑顔で話してくれた。
この5年で200人、いやいやその倍はいるかな?多くのPEG患者さんに出会う度に、私に何ができるんだろう・・って考えてしまう。
人間らしく生きるためには、最後まで口から食べ続けたい。誰もが思っていることじゃないかな・・。実際、私もそうだし・・。
でも、世の中にはいろんな病気があって嚥下(飲み込むこと)障害だけで、体は元気な人もいる。口から食べ続けるためには、口からだけに固執しないで、補助的に栄養を補う方が方法もある。
食事プラス補助飲料の場合や、もちろん食事とPEG(経腸栄養)を併用することもあると思う。口から食べられているのに、PEGはどうなの?といった声も聞かれないわけではないが、その患者さんにとって何がベストなのかを考えることが我々の宿命なのでは・・・。
PEGの管理についても、まだまだ普及していない。PEGを造っても、それを受け入れてくれる施設がないんです。家族は注入ができるのに・・ヘルパーさんは注入が医療行為になるからといって、認めてはいない。
せっかく家族が、家に連れて帰りたいと思っていても、サービス調整が難航しているのは事実!もっともっとみんながPEGのこと理解してくれたらいいのに・・・。
社会的にもPEG患者さんに厳しい状況です。やりきれない思いに押しつぶされそうになることもありますが、PEG患者さんやその家族が必要としてくれる限り、私はやり続けていこうと思います。みんながハッピーになることを信じて・・・。
こんな内容でマンガも交えて、本の中ではPEGに初めて出会ったNs.ケイが、色々な苦難を乗り越え、PEG管理のエキスパートに育っていくストーリーになっています。
医療書籍を扱う書店には『胃ろう(PEG)ケアはじめの一歩』も並んでいると思います。インターネットでは、アマゾンや楽天ブックスで中身も閲覧(立ち読み)できるようにしてあります。下記のアドレスから一度アクセスしてみてください。
Ns.ケイのようなPEG患者さんの管理ができるNs.が一人でも多く巣立ってくれることを望んでいます。
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2015.08.07