神戸の訪問看護師 藤田 愛さんのコラム
千分の一のコロナの訪問看護⑭
投稿日:2021.07.07
※原文およびその他の投稿内容については、藤田さんのフェイスブックでお読みいただけます。
1000分の一のコロナの訪問看護⑭
思いがけない最高の贈り物
お菓子の箱を思わず胸に抱きしめてしまいました。
コロナ第4波で神戸では入院もできなければ在宅医療も受けられない魔の3週間があった。
そんな時期に出会ったご夫婦。初めて訪問した時、夫は床に転倒したまま3日間、妻は酸素飽和度85%、一見受け答えはしっかりしていたのですが、回復してやっとおっとりした性格なのではなく、あの時、低酸素でぼんやりしていたのだと分かった。
全身脱力かつ同じ姿勢で長時間いたための硬直もしている夫を床から起こすことは容易ではなく、ほんの少しずつ角度をつけながら座らせてゆく。途中で自分の腕の感覚がなくなって、手が離れてしまいそうになる。絶対にこの手を離さない、そうして30分かけて座らせられた時、よかったね、本当によかったねとしばらく抱き合っていた。
そこから手作りの簡易ベッドを作って、移動させることにしたが、1cmずつやんと自分にツッコミだか励ましだか分からない声をかけていたことと、この自分の力は一体どこから出てくるのだろうと思っていたことだけしか記憶にない。とにかく必死で気の遠くなるような移動をさせていた。
そうだ最後に床からベッドに持ち上げる時に、思わずうりゃーと声が漏れてしまったな。
夫は隔離解除後に妻が療養に専念できるよう施設に入所していて、随分お元気になった。
ご夫婦、どちらのかかりつけ医にも診れないと断られた。事情は十分理解できるだから仕方ない。でも、医療が受けられないことにもう私自身が耐えられなくなっていた。普段、往診も週一日しかしてなくて随分遠い。
ある一人の医師に「先生、無理は承知しています。でも助けて」と電話をしていた。数秒、ためらいの沈黙のあと、分かりました、今から行きます。
3分以内の玄関診察で終われるよう、保健証のコピー、経過の情報まとめメモ、いすを玄関において妻に移動してもらう。医師が診てもそもそものコロナの急変のリスクが回避できるわけでも、入院の順番が早くなるわけでもない。でもただ待っているよりはましと思っての往診手配であることの承諾と選択。診療所医師が診るを阻むことと教えてもらったことのうち、対面診察であること以外の全部を整えた。
医師が到着した時、間違いなく一番うれしかったのは私だった。
すぐにステロイド処方と酸素器機の手配ができた。少し改善したが酸素飽和度がなかなか90%台に安定しない。何が起きているのか、外見と自覚症状、採血だけではいくつもの可能性があり分からなかった。
胸部CTで肺の状態を知りたい。神戸市のコロナ患者の受診システムは満杯で、かつ酸素飽和度が95%以上、それ以下なら、車の手配と感染も濃厚接触でもない家族の付き添いが必要という条件だった。
発症日から計算すると感染性は低くなっている時期、知り合いの介護タクシーに無理をお願いした。付き添いは私がすることにした。
条件は整いました、受診の手配をしていただけないでしょうかと担当の保健師に相談した。
待つ時間は長い。
受診できます!保健師から電話があり、ありがとうございます!すぐに指定された受診先に受診方法の確認のために電話をした。
事務の方と少し話しをしていたら、医師に代わります。もしもし〇〇です、神様ありがとう、先生やー。知り合いの医師だった。事情と経過を伝えた。もうこれ以上は無理と断ったのに保健師にねじ込まれたんや、待ち時間覚悟してきてな。不機嫌でも何時間待っても何でもいい、診てもらえるなら。
介護タクシーの運転手を感染から守るのも仕事であった。心得は持っておられたが、優しさが手を出す。だめ触らないで。窓全開で病院に向かった。
車の到着を医師と事務員がスタンバイして待っていてくれて、すぐにCT撮影。
藤田さん、見てみるか?妻に了解をいただいてできたばかりの画像を見せてもらった。ピークは過ぎているが典型的なコロナ肺炎や重症やで、よくここまでがんばれたな。今からの急変はあるのか、今からどのような経過をたどるのか、入院治療ができないのなら家でできる治療は何があるのか、次々に教えてほしいことがあった。
医師は一つずつ丁寧に答えてくれた。すぐにこの肺は治らないからあと3週間、今の治療の継続とリハビリを続けてゆくことと教えてもらった。
結果がよかったわけじゃない、でも何が起きていたか、今からできることを知れたことは弾む思いだった。妻も分かってほっとしたと安堵していた。
すぐに往診医に電話を入れて、状況を報告した。診療情報と画像持って帰るか?はい、治療の手がかりになるので往診医に届けたいです。素早く準備してくれた。待ち時間は少しもなく30分で終えた。ご無理をしていただいてすみません、本当にありがとうございました。藤田さん、がんばってねー、またねーと手を振りながら持ち場に帰って行った。続いて担当の保健師にも報告、ねじ込んでいただいたことの御礼を伝えた。
帰り道に往診医に預かりものをお届けをして、自宅到着ー。
その後は、自分ではできないかつ急ぐ部分の生活介護、介護保険の申請までの間お手伝いをし、体調観察とリハビリを続けた。安静時の酸素飽和度が94%まで上がって、外歩きを練習したらすぐに80台に下がる。手ごわさともどかしさを感じた。
ある日、妻がもう仕事辞めようと思ってるんです。生きがいだったんですけどね、これじゃ、皆に迷惑かけるからと元気なくつぶやいた。
ちょ、ちょ、ちょっと待って。まだ決めんとこよ。もうちょっとがんばってみようよ。仕事、また行けると思うねん。本当は先が読めなかった。でも知識がないから希望も捨てられなかった。
そして普段疎遠な息子さんにお仕事の許す時でよいからと、外歩きのリハビリに付き添ってほしい、訪問看護の回数だけでは足らないんですとお願いした。息子さんは毎週、母のもとに通ってくれた。
そしてついに、仕事の往復の駅までの道のりをパルスオキシメーターで測定しながら歩行を試してみる日が来た。89%、脈拍数100超えと呼吸数30回、ちょっと息苦しいかな。このタイミングで休憩だね、1分もすればすぐに90台に立ち上がった。もう少し、リハビリを続ければいける。知識も経験もなかったので、ない道を作るような感じだった。
数日後。藤田さん私、やっぱり仕事に戻ることにする。来月中旬くらいから、どうかな。
出会いから一か月、一番しんどい時から元の生活に戻る過程をご一緒させていただき、もう感謝しかなかった。ちょうどいいと思います。
あとの続きのリハビリはご自身と時々息子さんにおつきあいいただければ大丈夫、私の訪問は本日で終わりとしますという日が来た。お会いできて光栄でした。本当にありがとうございました。
その後も数日、ラインで健康やリハビリの様子を知らせて下さった。少しずつであったがさらに日ごとにお元気になった。一時的に手配していただいたヘルパーの訪問ももう不要になる。
届いたのは、戻られた仕事先のお菓子の詰め合わせ。
大丈夫!と断言しておきながら、私の方が心配して、他人には一見にはわからないしんどさだから無理したらあかん、息しんどくなったら休憩してねとか、あとあれこれ3つくらいお願いした。
贈り物の勤務先の包み紙を見た時に、妻から込められた「仕事がんばってるよ、安心してね」という思いが伝わりあまりにうれしく、それを抱きしめていた。
一緒に訪問をした看護師たちや毎日電話を入れてくれた事務員、それぞれが出先から戻るたびに、あのねと報告し、喜びを分かち合った。
ご夫婦に出会い、入院できない状況をご夫婦と息子さん、担当保健師、往診医とで一緒に戦い乗り越えた、そんな日々だった。
あと少し訪問が遅ければ命を落としていたかも知れない紙一重の状態からのスタート。わが悲鳴を飲み込むような出会いから今日までの間、かけがえのない時間だった。
最高の贈り物。
上司にめっちゃ怒られてもう立ち直られへんかもとへこんでたところだったから、なおさらうれしかった。捨てる神あれば拾う神あり(笑)
コロナ第4波で神戸では入院もできなければ在宅医療も受けられない魔の3週間があった。
そんな時期に出会ったご夫婦。初めて訪問した時、夫は床に転倒したまま3日間、妻は酸素飽和度85%、一見受け答えはしっかりしていたのですが、回復してやっとおっとりした性格なのではなく、あの時、低酸素でぼんやりしていたのだと分かった。
全身脱力かつ同じ姿勢で長時間いたための硬直もしている夫を床から起こすことは容易ではなく、ほんの少しずつ角度をつけながら座らせてゆく。途中で自分の腕の感覚がなくなって、手が離れてしまいそうになる。絶対にこの手を離さない、そうして30分かけて座らせられた時、よかったね、本当によかったねとしばらく抱き合っていた。
そこから手作りの簡易ベッドを作って、移動させることにしたが、1cmずつやんと自分にツッコミだか励ましだか分からない声をかけていたことと、この自分の力は一体どこから出てくるのだろうと思っていたことだけしか記憶にない。とにかく必死で気の遠くなるような移動をさせていた。
そうだ最後に床からベッドに持ち上げる時に、思わずうりゃーと声が漏れてしまったな。
夫は隔離解除後に妻が療養に専念できるよう施設に入所していて、随分お元気になった。
ご夫婦、どちらのかかりつけ医にも診れないと断られた。事情は十分理解できるだから仕方ない。でも、医療が受けられないことにもう私自身が耐えられなくなっていた。普段、往診も週一日しかしてなくて随分遠い。
ある一人の医師に「先生、無理は承知しています。でも助けて」と電話をしていた。数秒、ためらいの沈黙のあと、分かりました、今から行きます。
3分以内の玄関診察で終われるよう、保健証のコピー、経過の情報まとめメモ、いすを玄関において妻に移動してもらう。医師が診てもそもそものコロナの急変のリスクが回避できるわけでも、入院の順番が早くなるわけでもない。でもただ待っているよりはましと思っての往診手配であることの承諾と選択。診療所医師が診るを阻むことと教えてもらったことのうち、対面診察であること以外の全部を整えた。
医師が到着した時、間違いなく一番うれしかったのは私だった。
すぐにステロイド処方と酸素器機の手配ができた。少し改善したが酸素飽和度がなかなか90%台に安定しない。何が起きているのか、外見と自覚症状、採血だけではいくつもの可能性があり分からなかった。
胸部CTで肺の状態を知りたい。神戸市のコロナ患者の受診システムは満杯で、かつ酸素飽和度が95%以上、それ以下なら、車の手配と感染も濃厚接触でもない家族の付き添いが必要という条件だった。
発症日から計算すると感染性は低くなっている時期、知り合いの介護タクシーに無理をお願いした。付き添いは私がすることにした。
条件は整いました、受診の手配をしていただけないでしょうかと担当の保健師に相談した。
待つ時間は長い。
受診できます!保健師から電話があり、ありがとうございます!すぐに指定された受診先に受診方法の確認のために電話をした。
事務の方と少し話しをしていたら、医師に代わります。もしもし〇〇です、神様ありがとう、先生やー。知り合いの医師だった。事情と経過を伝えた。もうこれ以上は無理と断ったのに保健師にねじ込まれたんや、待ち時間覚悟してきてな。不機嫌でも何時間待っても何でもいい、診てもらえるなら。
介護タクシーの運転手を感染から守るのも仕事であった。心得は持っておられたが、優しさが手を出す。だめ触らないで。窓全開で病院に向かった。
車の到着を医師と事務員がスタンバイして待っていてくれて、すぐにCT撮影。
藤田さん、見てみるか?妻に了解をいただいてできたばかりの画像を見せてもらった。ピークは過ぎているが典型的なコロナ肺炎や重症やで、よくここまでがんばれたな。今からの急変はあるのか、今からどのような経過をたどるのか、入院治療ができないのなら家でできる治療は何があるのか、次々に教えてほしいことがあった。
医師は一つずつ丁寧に答えてくれた。すぐにこの肺は治らないからあと3週間、今の治療の継続とリハビリを続けてゆくことと教えてもらった。
結果がよかったわけじゃない、でも何が起きていたか、今からできることを知れたことは弾む思いだった。妻も分かってほっとしたと安堵していた。
すぐに往診医に電話を入れて、状況を報告した。診療情報と画像持って帰るか?はい、治療の手がかりになるので往診医に届けたいです。素早く準備してくれた。待ち時間は少しもなく30分で終えた。ご無理をしていただいてすみません、本当にありがとうございました。藤田さん、がんばってねー、またねーと手を振りながら持ち場に帰って行った。続いて担当の保健師にも報告、ねじ込んでいただいたことの御礼を伝えた。
帰り道に往診医に預かりものをお届けをして、自宅到着ー。
その後は、自分ではできないかつ急ぐ部分の生活介護、介護保険の申請までの間お手伝いをし、体調観察とリハビリを続けた。安静時の酸素飽和度が94%まで上がって、外歩きを練習したらすぐに80台に下がる。手ごわさともどかしさを感じた。
ある日、妻がもう仕事辞めようと思ってるんです。生きがいだったんですけどね、これじゃ、皆に迷惑かけるからと元気なくつぶやいた。
ちょ、ちょ、ちょっと待って。まだ決めんとこよ。もうちょっとがんばってみようよ。仕事、また行けると思うねん。本当は先が読めなかった。でも知識がないから希望も捨てられなかった。
そして普段疎遠な息子さんにお仕事の許す時でよいからと、外歩きのリハビリに付き添ってほしい、訪問看護の回数だけでは足らないんですとお願いした。息子さんは毎週、母のもとに通ってくれた。
そしてついに、仕事の往復の駅までの道のりをパルスオキシメーターで測定しながら歩行を試してみる日が来た。89%、脈拍数100超えと呼吸数30回、ちょっと息苦しいかな。このタイミングで休憩だね、1分もすればすぐに90台に立ち上がった。もう少し、リハビリを続ければいける。知識も経験もなかったので、ない道を作るような感じだった。
数日後。藤田さん私、やっぱり仕事に戻ることにする。来月中旬くらいから、どうかな。
出会いから一か月、一番しんどい時から元の生活に戻る過程をご一緒させていただき、もう感謝しかなかった。ちょうどいいと思います。
あとの続きのリハビリはご自身と時々息子さんにおつきあいいただければ大丈夫、私の訪問は本日で終わりとしますという日が来た。お会いできて光栄でした。本当にありがとうございました。
その後も数日、ラインで健康やリハビリの様子を知らせて下さった。少しずつであったがさらに日ごとにお元気になった。一時的に手配していただいたヘルパーの訪問ももう不要になる。
届いたのは、戻られた仕事先のお菓子の詰め合わせ。
大丈夫!と断言しておきながら、私の方が心配して、他人には一見にはわからないしんどさだから無理したらあかん、息しんどくなったら休憩してねとか、あとあれこれ3つくらいお願いした。
贈り物の勤務先の包み紙を見た時に、妻から込められた「仕事がんばってるよ、安心してね」という思いが伝わりあまりにうれしく、それを抱きしめていた。
一緒に訪問をした看護師たちや毎日電話を入れてくれた事務員、それぞれが出先から戻るたびに、あのねと報告し、喜びを分かち合った。
ご夫婦に出会い、入院できない状況をご夫婦と息子さん、担当保健師、往診医とで一緒に戦い乗り越えた、そんな日々だった。
あと少し訪問が遅ければ命を落としていたかも知れない紙一重の状態からのスタート。わが悲鳴を飲み込むような出会いから今日までの間、かけがえのない時間だった。
最高の贈り物。
上司にめっちゃ怒られてもう立ち直られへんかもとへこんでたところだったから、なおさらうれしかった。捨てる神あれば拾う神あり(笑)
(2021.7.1)
※藤田さんの著書は台湾でも翻訳出版(写真左)されています。
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